痛みをとるだけの暗黒時代
リウマチのという名前の由来はギリシャ時代にまでさかのぼりますが、さらにさかのぼれば古代エジプト人、はたまた5,000年も前の古代インディアンの骨にもリウマチの痕跡が見られます。つまりは人類の歴史と共にリウマチの歴史もあるようなものです。
日本では奈良時代の著名な歌人・山上憶良がリウマチを患っていたと言われています。我が国最古の歌集である『万葉集』の巻五に次のような文章が掲載されています。
四支動かず、
百節皆疼み、身体太だ重く、
なお釣石(きんせき)を負へるが如し。
懸りて立たむと欲すれば翼折れたる鳥の如く、
杖によりて倚(よ)て歩まんとすれば、足跛(ひ)ける驢(うさぎうま)の如し
これは憶良が自身の体の様子を表現したものですが、現代でいうリウマチの症状なのではないかと考えられているのです。
治療薬に目を向けてみると、最初に登場したのが痛み止めです。まだリウマチの正体がほとんどわかっていない時代でした。体の中で何が起きているかはわからないけれど、患者は痛がっている、それには痛み止めだということで、様々な薬のようなものが試されてきましたが、一般的な治療薬としては20世紀に入る直前の1897年になってようやく、ドイツのバイエル社から副作用の少ないアセチルサリチル酸(アスピリン)が発売されました。
とはいえ、所詮は痛み止めですから目先の痛みは止められても関節や骨の破壊を止めることはできません。画家のルノワールの写真には、手指の関節が変形した様子が見られます。ルノワールもこの薬を使ってなんとか痛みに耐えながら、数々の絵画を描いたと思われます。
そのしばらくの間はアスピリンのような非ステロイド性の抗炎症剤が使われていましたが、1948年にはステロイド剤が登場しました。それまでの薬に比べると炎症を抑えて痛みをとることに優れ、当時は画期的な薬としてリウマチ治療の主流に躍り出ました。ステロイド剤を初めてリウマチ患者に使ったアメリカのフィリップ・S・ヘンチはノーベル医学・生理学賞を受賞したほどです。
しかし、ステロイド剤を長期にわたって使用するとその副作用が心配されます。今では適量使用と適切な副作用対策を行なった上で使用はされていますが、その効果は炎症や痛みを取るのみで、関節や骨破壊を抑える薬ではないため漫然と服用してはいけません。
1980年代になると、抗リウマチ薬と名前のつく薬がいくつか出てきました。これらは名前こそ抗リウマチ薬ですが、他の病気の治療で使っていた薬をリウマチ患者に使ってみたら炎症を抑え、進行をやや遅らせるようだということで使われたもので、依然としてリウマチの正体は謎に包まれていました。
当然、リウマチ治療が求めている関節や骨破壊を抑える効果はほとんど望めません。ルノワールの時代の治療からほとんど変わらない治療が1990年代の後半になってもまだ続いていました。他の病気では日進月歩で薬も治療技術も進歩して行く中、リウマチ治療だけ完全に取り残されていたのです。この時期をリウマチ治療の暗黒時代と呼んでいます。
関節・骨破壊を抑制する薬「リウマトレックス」の登場
この頃海外では、がんの治療に使われていたメトトレキサートという薬をリウマチ患者に使ったところ関節・骨破壊を抑制する効果が確認されました。関節・骨破壊の抑制に効果があるというのは初めてです。アメリカでは1988年に使用の許可が出ていましたが日本ではそれに遅れること約10年、1999年に承認されました。
実はこの薬が承認される少し前から、私が所属していた聖マリアンナ医科大学病院リウマチ膠原病アレルギー内科では、すでにリウマチ治療ではメトトレキサートを投与していました。当時は特効薬がなく太刀打ちできなかったのに関節・骨破壊の抑制という新しいフェーズに入ったことなんて画期的なことだろうと心が躍ったものです。
リウマチ治療用に整えられた薬はリウマトレックスという商品名で、現在でもリウマチ治療の第一選択薬として広く使われています。この薬の使用が始まった事と共に、関節・骨破壊は発症の早い段階で急速に進むことももこの頃にわかりました。
リウマトレックスは今もなおよく利用される薬であることは間違いありません。しかし、アンジャの約半数にはとてもよく効くのですが、残り半数には思うような効果が上げられないのです。
関節・骨破壊を止める「生物学的製剤」の登場
リウマチではサイトカイン物質であるIL-6(インターロイキン-6)とTNF-αが過剰に分泌されることで、炎症を悪化させることがわかっています。1998年にようやく、これらの働きを抑えることができる薬が海外で開発されました。生物学的製剤というもので、バイオ技術を使った薬剤であるためバイオ製剤またはバイオと略して呼ばれることもあります。
炎症を鎮静化してそれまで出ていた症状を改善するだけでなく、関節・骨破壊の進行を止めることができ量になったほか、骨の修復も可能になったのです。
日本では海外より5年遅れて2003年に生物学的製剤のレミケードが承認された。それ以降、同様の薬が次々と登場します。当時、大学病院には症状が重いリウマチ患者が杖歩行や車椅子の状態で入院してきては生物学的製剤の治療を受けていました。その多くは1週間ほど入院すれば、退院する時には発症前のように病状が落ち着き喜んで帰宅していきました。
ただ、当時の大学病院では生物学的製剤の治療を受けるのに入院が義務付けられたり、カンファレンスや教授回診などで投与するしかないかが決められたり、患者ファーストと言えない状況でした。私であればもっと早く治療を変更・決定でき、外来で投与もできるのに・・・というやるせない思いを常に持っていました。この時の思いがリウマチ専門クリニックの開業に向けて強いモチベーションになったのです。
関節・骨破壊を止める内服薬「JAK阻害薬」の登場
2013年になると、生物学的製剤と同じようにサイトカインに直接作用して炎症を抑える薬が登場しました。それがJAK阻害薬と呼ばれる内服薬です。JAK阻害薬は細胞表面にあるサイトカイン受容体から発したシグナルを受け取るJAK(ヤヌスキナーゼ)という酵素の働きを阻害することで、サイトカインによる炎症を抑制します。
生物学的製剤が細胞の外でサイトカインの働きをブロックするのに対し、JAK阻害薬は細胞内でサイトカインから発生する刺激を遮断する薬です。生物学的製剤と同等か時にはそれ以上の効果を発揮します。
生物学的製剤は分子が大きいために点滴や注射でしか投与できませんでしたが、JAK阻害薬は分子が小さいために内服ができます。飲みやすいだけでなく、リウマトレックスや生物学的製剤で効果が得られなかったケースでも、効果が認められることが多い薬です。
バイオシミラーが登場
一般の薬では、先行品の独占的販売期間が過ぎると、同じ成分で低価格の後発医薬品(ジェネリック医薬品)ができます。同様に、生物学的製剤の後発医薬品のことを「バイオシミラー(BS)」または「バイオ後続品」と呼んでいます。一般薬のジェネリック医薬品は、先発品と同じ構造で成分も全く同じであることから臨床試験は必要ないのですが、生物学的製剤は高度なバイオ技術によって作られたもので後続品は先発品と全く同じものはできないため、臨床試験が必要になります。
効果と安全性が先発品と同じであると認められれば、BSとして認可されます。リウマチ薬として使われている生物学的製剤にも、こうしたBSが発売されます。BSの場合は、薬価が先行品の60〜65%と安価となり、治療にも取り入れ安くなりました。
現在はレミケードの一般名インフリキシマブのBS、エンブレルの一般名エタネルセプトのBS、ヒュミラの一般名アダリムマブのBSが日本で承認されています。
またアクテムラの一般名トシリズマブのBSは治験が行われています。なお、リウマチの専門医や専門スタッフが多数在籍する私のクリニックでは、日本で販売されるほぼ全てのリウマチ薬の治験を行なっています。