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世田谷リウマチ/医療法人社団東信会世田谷リウマチ膠原病クリニックが監修しています。
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リウマチ・膠原病と漢方などの東洋医学を融合した統合医療について情報発信しています。

仕事、スポーツ、妊娠・出産、旅行…… 日常生活を取り戻した リウマチ患者16のケース

2023 10/30
リウマチ
2023年8月16日2023年10月30日
目次

「ほかに手がない」はあり得ない

リウマチ治療をしながらも、夢や希望、やりたいことを諦めずに自分らしい人生を送っている人たちがいます。年齢も背景もまったり異なる人たちです。患者は一人ひとりいろいろな希望や夢をもっているものです。リウマチ専門医は、その希望を実現するために治療法を考えます。リウマチの症状がコントロールできるようになってきた今、それらの夢や希望をなに一つ諦めることはない、と彼らの体験を通して感じ取ることができるはずです。

カンファレンス(治療やケアの方針を話し合う会議)などで「あの患者さんに尽くす手はないね」という言い方をする医師がいます。でもリウマチ治療の現場においては、私は絶対に良くなる治療方法はあるはずだと言い返します。薬の心配、医療費、毎日の暮らしなど、心配は尽きないはずです。その答えを医療チーム全体で探してアプローチしていくことが本当のリウマチ治療です。

以下の体験談のなかでも、納得行かない治療をしていたものの、主治医を気遣って転院を言い出せなかった例があります。これからの人生を一緒に並走してくれると思えなければ、セカンドオピニオン、転院をすべきです。気遣うべきは主治医ではなく、自分自身です。一緒に「手を尽くしてくれる」医療チームと、彼らのような自分らしい人生送ってほしいと思います。そして、ここに紹介する人たちの事例から明るい未来を感じてほしいのです。

ケース①  スポーツを続けたい(20代男性)

陸上部の選手として活躍する高校生の彼は走ることが大好きで選手として良い成績を出し続けていました。2年生のときにリウマチを発症します。治療がなかなかうまくいかず、3年生になるともう走れなくなっていました。けれどそれまでの戦績と学業成績から推薦で大学進学が叶い上京したため、私のクリニックを受診しました。

今後どうしたいのかという希望を聞くと、推薦入学だったため、走れないと退学になってしまうといいます。走ることは切実な目標でした。そして高校時代からの夢だった箱根駅伝をどうしても走りたいという夢ももっていました。

なるべく早く症状をなくしたいということで、生物学的製剤(アクテムラ)を使うことになりました。この薬には自己注射が必要でした。そもそも注射は大嫌いという患者の鍛えぬいた体にはほとんど脂肪がなく、自己注射をすると薬剤が皮下を通る様子がよく見えたというため、慣れるまでは怖かっただろうと想像できます。それでもすぐに良くなり、ほどなく寛解を迎えました。

陸上部にも復帰でき、4年間、ほとんど症状が出ることはありませんでした。厳しい練習にも耐え、いよいよ憧れの箱根へ!というところまでたどり着きましたが、チームは予選会で敗退します。箱根路を走ることはできませんでしたが、最後まで選手として全力を尽くせたと、後悔はない様子でした。

ケース② 仕事を続けたい(30代女性)

彼女の嫁ぎ先は果樹農業を営んでいました。嫁いで以来、子育てもしながら家業を手伝っていました。あるときから急にだるさを感じるようになり、しばしば発熱をするようになり、指の関節にも痛みを感じるようになりました。果樹の世話にも事欠くようになり受診してきました。

当初はリウマトレックスを使いましたが、あまり効果がありません。3世代で暮らす彼女はいつもオーバーワークでした。せっかく良くなりかけても、20kgもあるカゴを一日中運んでいる毎日でしたから、すぐに振り出しに戻ってしまいます。この間も仕事は休めないので、作業の合間に休んでいたら、夫や義母からさぼっているように見られてとてもつらかったといいます。

彼女の希望はとにかく早くリウマチを落ち着けて仕事をすることだったので、次のステップに進むことになったのです。ここで選択したのは生物学的製剤(レミケード)でした。夫の両親と暮らす中、当初は薬代を心配していました。

レミケードを開始してほどなくして症状はなくなりました。今でもとても元気に日々の作業も行えているといいます。とはいえ、薬は数年にわたって使い続けています。タイトな治療が行われていた頃は高額療養費制度を活用し、症状が落ち着いてきてからは使用量を減らしたり、投与間隔をできるだけ空けたりしてできるだけ費用がかさまない工夫を一緒にしていき、寛解を維持して今もりんご果樹園の仕事と子育てを頑張っています。

ケース③ バリバリ仕事をこなし、休暇は海外旅行という日々に戻りたい(40代女性)

外資系の会社で総合職として働いていました。女性でも実力さえあれば認めてもらえることがうれしいと、海外出張もこなすバリバリのキャリアウーマンです。

思い切り働いたらしっかり休暇をとって、海外のリゾート地へ旅行するのが趣味でした。ところがリウマチになってしまい、最初に使ったリウマトレックスの効果も思うようにあがらず、通勤のため欠勤がちになったことで収入も減り、旅行どころではなくなったと悲しい顔で受診してきたのを覚えています。これからどうしたいのかと聞くと、アクティブに仕事をして、旅行も楽しみたいと答えてくれました。

そこで生物学的製剤(ヒュミラ)を使い、ほどなくして症状はなくなりました。今は再び、キャリアウーマンに戻っています。まだ完全に薬をやめることはできていませんが、当時の半量での使用となっています。落ち込んでいたときの顔がうそのように、発症前の暮らしを取り戻しています。

ケース④ 就職したい(20代女性)

彼女は大学1年生のときにリウマチを発症しました。栄養学を学んでいて、将来は管理栄養士を目指していた女性です。初診のときはお母さんと一緒で、リウマチと診断がつくと母子でとても落ち込んでしまいました。特にお母さんはどうしてこの子が、私にどこか悪いところがあったのかと自分を責めていたのが印象的でした。あなたのせいではないと何度も話したことを思い出します。

一度は母子で混乱状態にありましたがそのうちに落ち着きを取り戻し、管理栄養士になるという希望に向かって、治療を開始しました。決め手となったのは生物学的製剤(シムジア)でした。大学には今までどおりに通うことができて、無事に卒業しました。今はメーカーの研究室で働いています。リウマチを経験しても夢を諦めずにいられた、支えてくれた人に恩返しするためにも、何か貢献できたらと、新たな夢ももちました。

ケース⑤ 上京して充実した大学生活を送りたい(20代女性)

地方で診療をしている私の友人から、自分の患者に上京して大学生になる人がいるから引き継いで治療をしてほしいと頼まれた女性です。子どもの頃にリウマチを発症して、長く治療を続けていました。症状は良くなったり悪くなったりだったといいます。

治療を引き継いで患者本人と話をしてみると、医療系の大学に通っているというのです。どうしてその道に進んだのか?と聞くと、ずっとリウマチの治療をしてきたから、側にいてくれた医療者に憧れていて、病院で働きたいと思ったと言います。リウマチ治療を行っている者として、こんなにうれしい言葉はありません。

東京に来た環境の変化からか症状の悪化が見られたため、JAK阻害薬(リンヴォック)の治療に変更して寛解となりました。そのうえで何か不自由なことはないかと尋ねると、実習もあるので指を使うときに不自由なことがあるということでした。そのため薬は引き続きJAK阻害薬を使って治療を続ける一方、理学療法士の施術を行うことになりました。最初は上京直後の緊張感もあったとは思いますが、診察を重ねるたびに表情が明るくなって、さらに夢に向かって勉強も頑張っています。

ケース⑥ 女優になりたい(20代女性)

この患者も地方に住む医師からの紹介です。自分の患者で娘が東京にいるのだけれど、どうやら娘にもリウマチと思われる症状が出始めたらしいので診てほしいと言われたのがきっかけでした。

「リウマチです」と診断すると、たいていは動揺を隠せないという人が多いなか、彼女は落ち着いていました。リウマチのお母さんを見てきたため、リウマチになったあとの人生が激変してしまうわけではないと分かっていたからです。ごく早期に診断がつき、すぐに治療を始められたのでリウマトレックスのみで症状は落ち着いています。

彼女は学生ですが、アルバイトにも励む一方で女優になりたいという夢ももっています。今度舞台に立てることになった、と報告を受けたときは、スタッフ一同から大きな拍手が沸き起こりました。今も治療を続けながら、さらなる夢に向かって走り続けています。

ケース⑦ 自立したい(20代女性)

高校生のときに発症して以来、社会人になった今も治療を続けている女性です。浪人も経験しましたが見事一流大学に合格し、入学してからアルバイトを始めたと聞いていました。生物学的製剤(エンブレル)での治療で寛解となっていました。そのうえで何か治療の希望がありますか?と聞くと、少し治療の間隔を空けたいという申し出を受けました。

症状的には特には変化もなかったので理由を聞きました。すると毎月医療費がかかってしまうのが親に申し訳ないため、高校を卒業してからはアルバイトで医療費を支払っていたというのです。彼女の希望に応えるべく、体調を診ながら薬の種類や量を調整しています。まだ親元にいるのに、こんなふうに自立した考えをもっているのかと感心させられました。年齢を問わず、教えられることばかりです。

ケース⑧ 結婚したい(30代女性)

彼女はリウマチと診断がついてすぐにリウマトレックスの治療を開始していました。再診のときには必ず薬が余っていないかどうかを確認しているのですが、彼女の場合、毎回半分は余っているのです。リウマトレックスを飲んだり飲まなかったりしているので当然、効果も出ていません。薬を余らせている場合、高齢者だったら認知機能の低下を疑います。そうでない場合は、性格的にうまく薬の管理ができないかどうかを心配します。彼女は薬の管理ができていないようにはとても見えませんでした。

私には何か話しにくそうなことがあるなと思い、対応を看護師にバトンタッチしました。時間をかけて話すうちに、彼女には結婚したい相手がいるけどなかなか結婚話が進まないため、心のどこかで赤ちゃんができれば結婚話が進むかもしれない、と思っていることが分かりました。治療薬のリウマトレックスには催奇形性があるため、妊娠を望む場合には使えない薬です。彼女もそのことをよく知っていました。だからこそ、服用に迷っていたのです。スタッフとも話し合いを重ねた結果、まずは症状を抑えることが大切だと気持ちを切り替え、リウマトレックスの治療を改めて行いました。

数カ月の治療ののち、症状が抑えられいったん休薬となりました。その間も体調の確認のため間隔は空けつつも、受診は続けていました。そんなあるとき、彼と結婚が決まったと笑顔で報告してくれたのです。その次には彼女の体についてよく知りたい、と彼も一緒に受診してきました。早く子どもが欲しいので心配なことがあったら相談したいと彼からの申し出を受け、今では彼女と医療チームの二人三脚の治療から三人四脚の治療を行っています。

ケース⑨ 子どもが欲しい(40代女性)

ちょうど結婚前後にリウマチを発症した女性です。彼女は治験薬に協力してくれました。その薬がとても効いて早い段階でコントロールをつけられるようになっていました。結婚当初は、子どもはいらないと言っていたのですが、40歳を目前にしてやっぱり子どもが欲しいと気持ちが変わったのです。

それまで催奇形性があるリウマトレックスと生物学的製剤(ヒュミラ)でコントロールしていましたが、妊活を始めるにあたって、リウマトレックスを中止しました。それから約2年、なかなかうれしい報告を聞くことはできませんでした。リウマトレックスを中止しているとコントロールの甘い時期が長くなり、関節症状が強く出始めるようになってきていたため、彼女もまたリウマトレックスを再開したいと言っていたのです。

そのときは10月でした。私はせっかくだから年明けのキリのいいところでリウマトレックスを始めることを提案しました。そうしてそのときは妊娠に影響のないヒュミラを2カ月分処分しました。すると、なんとその年の12月末に妊娠が分かったと電話がかかってきました。これは今でも忘れられない出来事です。

妊娠中、授乳中と子どもに影響のない薬を使いながら過ごし、今でも通院していますが、そのときの男の子が今では待合室で走り回っています。その姿を見るたびに感慨深い思いでいっぱいになります。

ケース⑩ 中絶したくない(30代女性)

元は私の患者でしたが、今は転居に伴い地方に住んでいる女性です。ある日、彼女から久しぶりに深刻そうな声で電話がありました。妊娠したけれども主治医からは中絶を勧められたので相談したいとのことでした。

当時、転居先の病院ではリウマトレックスと生物学的製剤(エンブレル)を使いつつも寛解の状態が続いていました。すでに小学生の子どもがおり、妊娠の計画はなかったものの、どうしても産みたいというのです。詳しく話を聞いてみました。リウマトレックスをいつ飲んで、月経はいつだったかと。聞き取りをしているうちに、妊娠した時期は薬の影響を受けていない時期かもしれないということが分かりました。それを伝え、薬の影響に詳しい都内の専門病院を受診してもらいました。そこでも、確かにその時期は影響が少ないはずと言われ、彼女は妊娠を継続することにしました。

そして数カ月後、無事に元気な赤ちゃんを出産しました。彼女は現在、授乳に影響のない薬を使いながら、子育てを頑張っています。

ケース⑪ 介護も趣味も続けたい(50代女性)

20年前に発症したものの、治療とコントロールがうまくいってしばらくの間はアクティブな毎日を過ごしていた女性です。ところが離れたところに暮らすお母さんの介護が始まり、落ち着いていた症状が悪化しました。自宅とお母さんの家を頻繁に行き来し体の負担も相当なものだったことと思います。

彼女はスポーツウーマンでもありましたが、趣味として彫刻もしていました。介護のかたわら気分転換にと趣味にも精を出していましたが、いよいよ彫刻刀が持てなくなったと受診してきたので、生物学的製剤(オレンシア)を使ったところ、それが短期間でとてもよく効きました。再び彫刻刀を手にしながら介護も精一杯続けました。

その後お母さんは亡くなったそうですが、あのとき治療を受けてできる限りのことをしたから後悔はない、とすがすがしい顔でそのときのことを振り返っています。

ケース⑫ 山登りをやめたくない(60代男性)

若いときから登山が大好きだという男性です。定年退職を間近に控えた頃、リウマチを発症しました。特に足に症状が強く出て、仕事にも支障が出るようになり、一時は早期退職も考えていたほどです。趣味の登山どころではありませんでした。

リウマトレックスや生物学的製剤(シンポニー)を使い、症状がコントロールできるようになり、無事に定年まで勤めあげることができました。退職後はボランティアをしながら山登りを再開しました。

近くの里山歩きだけでなく、アルプスにも登ってきたと言っては時折、そのときに撮った写真を見せてくれます。リウマチになってもアルプス登山を続けられるというのは、若い世代の人たちにも大きな希望を与えてくれるものです。

ケース⑬ いつもおしゃれでい続けたい(40代女性)

10年前に発症したのち、リウマトレックスでコントロールがうまくいっている女性です。おしゃれが大好きで仕事のほかに雑誌のモデルもしています。

診察のときに私が載っていると掲載誌を持ってきて見せてくれるのですが、どこからどう見てもリウマチ患者には見えません。趣味はランニングでいつも明るくはつらつとしています。手足のレントゲンを撮影してみても、最初の受診のときから全く骨には変化がなく、骨破壊は進んでいません。リウマチと診断されたときも、治療中でも変わらずにいつもおしゃれで、受診のたびに医療チームのほうが元気をもらっています。

ケース⑭ 孫の世話をしたい(70代女性)

私の患者の娘が妊娠を機にリウマチを発症しました。妊娠・出産という時期でもあったので、どうしても薬を使いたくないと治療をしなかった間に2年が経過し、いよいよつらくなったと再び受診してきた時には、かなり進行していました。「治療機会の窓」はすでに閉まりかけています。

JAK阻害薬(ジセレカ)を使うことで、今は症状のコントロールはできていますが、治療をしなかった間に膝の関節が壊れてしまいました。母のほうは、娘を心配しながらも自分の治療は続けていたので、現在、症状に苦しむことはまったくありません。

今は娘の育児を手伝っていますが、孫と一緒にいられるのはうれしいといきいきと過ごしています。

ケース⑮ 仕事もゴルフも続けたい(60代男性)

会社を経営している男性です。発症は20年以上前で、リウマチ非専門医にかかっていました。私のクリニックを受診したときには関節変形や拘縮を起こしていて、間質性肺炎の合併症もありました。痛みもひどい、体も動かせないと、経営している会社をたたもうかと話していたほどです。思わずどうしてもっと早く来てくれなかったのかと聞くと、そのときの主治医に遠慮して言い出せなかったといいます。

関節の変形を戻すことはできませんが、初診時にひどかった痛みや腫れの症状はリウマトレックスと生物学的製剤(ケブザラ)によってコントロールできるようになりました。症状が落ち着くと、発症前に大好きだったゴルフに行ってきたと報告を受けました。それも練習場ではなく、いきなりコースに出たというのです。「スコアは散々だったが、好きなことができるのはいいこと。関節が曲がったなりの打ち方も編み出している。次はもっとスコアを上げたい」とそれはもう、楽しそうに話してくれました。

一時はたたもうかと思っていた会社も、治療を始めてからは少しずつ続けることができ、その間、別の会社で修業していた息子が戻り、引き継いでくれました。

ケース⑯ 結婚式では杖なしで歩きたい(50代女性)

私がこの書籍の原稿を執筆している最中だと話したところ、ぜひ自分の話を載せて欲しいと言ってくれた女性がいます。治療が一段落ついたため転院することが決まり、最後に受診した日のことです。

この女性患者は30代半ばでリウマチを発症し、初めは他院で治療をしていましたが効果がなく、杖を使うようになってから私のクリニックを受診しました。当初はリウマトレックスを増量してほかの抗リウマチ薬を併用しながら治療をしていましたが、残念ながら効果が不十分でした。そのため生物学的製剤の追加を勧めましたが、薬の副作用と注射による治療を恐れて導入に踏み切れない状態が続いていました。

50歳を過ぎたとき、突然彼女に転機が訪れました。縁談の話がもち上がったのです。

彼女は、結婚式では杖を使わずに白無垢を着て歩きたいという希望を私に伝えてくれ、これを機に生物学的製剤(エンブレル)を導入してリウマチの寛解を目指すことに決まりました。結果として寛解となり、結婚式では杖を使わずに歩くことができたそうです。後日、そのときの写真をうれしそうに私に見せてくれました。

転院してからの手紙には、彼女が生物学的製剤の導入を考えた直後のきっかけが書かれていました。縁談のことを聞いたときに私が「結婚式の前はいろいろな準備があって大変でしょう。ブライダルのエステとか、バイオとか」と、そして「エンブレルも嫁入り道具ですよ」と話したことで、彼女は「結婚式のためならエンブレルの導入も仕方がない。勇気を出して注射しよう」と決心したのだそうです。手紙には、エンブレルで寛解となった彼女が転居先でも治療を続け、旦那さまとも楽しく暮らしていることも書かれていました。

下記書籍で詳しく解説しています。

リウマチ
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この記事を書いた人

吉田智彦 医療法人社団東信会 世田谷リウマチ膠原病クリニック統括院長

【資格】
医学博士,日本内科学会総合内科専門医,日本リウマチ財団リウマチ登録医,日本リウマチ学会リウマチ専門医,日本リウマチ学会リウマチ指導医,日本リウマチ学会評議員,日本医師会認定産業医,身体障害者申請医(肢体不自由)
【専門領域】
関節リウマチ全般,リウマチ膠原病患者の妊娠希望者診察,膠原病一般 など

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